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食事論

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内容
2004年1月26日 「なにを食べるか」がすべてではない
2003年11月25日 鮨は同日に食べ比べするべし
2003年11月14日 冷や飯のすすめ
2003年8月13日 冷蔵庫の中身
2003年6月16日 接客態度
2003年4月22日 食いしん坊の心、箸に見つけたり
2003年2月13日 オムライス論<
2002年11月11日 食べ歩きのすすめ
2002年8月8日 苦労
2002年7月20日 おいしい食べかた、楽しい食べかた
2002年7月10日 野菜・果物のすすめ
2002年7月2日 食事から見えるもの ―食べることの意義―
2002年4月25日 "食" および "料理" のとらえ方




「なにを食べるか」がすべてではない

 料理というのはただ作ればいいというものではないし、食卓というのはただ並べればいいものではない。食事というのはただ食べればいいというものではないということを、まず始めに言っておきたい。

 「食事をする」ということは「なにを食べるか」だけが大切なことではなく、食を取り巻く全ての要素に気を配ってこそ、本当においしく「食事をする」と言えよう。

 なまくらな包丁ではなく切れる包丁で料理したほうが、料理自体が楽しくなるかもしれない。
 いつもは白い器によそう料理も、黒い器によそってみるとより一層おいしく見えることがあるかもしれない。
 テレビをつけっ放しで食べる食事よりも、好きな音楽を聴きながら食べる食事のほうがおいしいはずだ。

「なにを食べるか」がすべてではない。「食べる」に至るまでの過程も大切。

2004年1月26日

鮨は同日に食べ比べするべし

 中目黒の目黒銀座にうまい鮨屋がある。また、最近新しい店もできた。ふと思い、同日にこの2店をランチで食べ比べてみた。差し障りがあるといけないので、昔からある店をA寿司。新しい店をB鮨としておこう。以下はその店の特徴などである。

 まず、A寿司。にぎりのランチは900円で、にぎり6かん、まきもの6個、それと玉子。おすまし。
 ここの鮨はやはりうまい。ネタの鮮度はもちろんのこと、シャリもうまい。カウンターは白木で、食べものがおいしく感じられます。また食べに行きたくなるお店です。

 次にB鮨。にぎりのランチは800円で、にぎり8かん、まきもの6個、それと玉子。蜆の味噌汁。
 初めて行った店だけど、思いっきりがっかりした。まず、お茶がぬるい。湯飲み茶碗が持てないくらい熱いのを出すのが鮨屋じゃないのか。食べる前から失望。
 そしてあまり待つことなく出てきた鮨だけど、ネタがしょぼい。小僧寿しかっていうくらい貧相なネタ。また、シャリも握りすぎたのか、小さく硬い。よっぽど途中で帰ろうかと思ったが、それじゃお米を作った農家や漁師に申し訳ないと思い、我慢して食べた。
 失望しながら最後に食べた玉子だけど、とれがまた、しゃりっとした食感。冷凍か……、と疑うほど。こんな最低の店、2度と行かない。あほ。

 と、そんなわけで、鮨の味を知りたかったら、同じ日に食べ比べることをすすめます。あまり食べることに興味がない人でも、その味の違いに気づくはず。それほど鮨というものは、職人の腕が出るものです。嘘のつけない、騙しの効かない料理です。食べ比べると面白いよ。

2003年11月25日

冷や飯のすすめ

 家でご飯を炊いたとき、普通であればそのまま保温にして、温飯のまま食べるでしょう。なんの疑問ももたずに。ただ、本当の米の味を知りたければ冷や飯にすることを勧める。それはなぜか――。

 例えば清酒の場合、熱燗よりも常温のほうが本当の味って分かりませんか。例えば蕎麦の場合、掛けよりも盛りのほうが本当の味って分かりませんか。
 鮨なんて、温飯で握られたらたまったもんじゃないでしょう。おにぎりも、どこかへ出掛けて食べたほうがおいしく感じられるでしょう。

 というわけで、自宅で白飯を食べるときも、冷や飯にして食べることを勧めます。温度に惑わされない、本当の味を知ることができます。ぜひ。

2003年11月14日

冷蔵庫の中身

 冷蔵庫の中身はその所有者のアイデンティティを如実にあらわしている。冷蔵庫が空っぽな人は結局のところ空虚な人だし、賞味期限が切れたものを入れっぱなしにしている人はどこかしら腐っている人。冷蔵庫に油断がある人は、軽んじられても仕方がない。

 冷蔵庫の中身はもちろんのこと、鍋や包丁、裏ごしやフードプロセッサーといったありとあらゆる調理器具を取り揃えている人は、人生を謳歌している人。なぜなら "食べる" 行為は "生きる" と同義だから。 "食べる" ことへの姿勢こそ、その人の個性だから。

2003年8月13日

接客態度

 器を下げるのがちょっと早いと、店の印象ががらりと悪くなる。一口でも残っているときには、下げにくるな。水面下では「誰が最後の一口を食べよう」という、遠慮や心配りがあったりするんだから。

2003年6月16日

食いしん坊の心、箸に見つけたり

「なにを食べるか」ではなく「なにで食べるか」。これって案外面白い。

 みんなも子供の頃に、箸の握りかたやマナー(ねぶり箸、迷い箸など)について親に教えてもらったことってあるよね。そういった使いかたは知っているのに、箸そのもののことを知らないという人が意外と多い。箸なんて普通の箸か、コンビニでもらう割り箸か、料理で使う菜箸ぐらいしか知らないよって人がかなり多い。

 んー、まさに片手落ち。左手に持つ器(食べもの)ばかりに留意して、右手(箸)が無駄に遊んでいる。両方口に入るものなのに、注意が足りていない。いいの、それで?
 武士の心が刀にあるように、食いしん坊の心は箸にあるのではと思ってます。剣の道の真髄が敵をどのように料理するのかにあるならば、食の道もそれに同じ。どう食ってやるかが極めどころ。

 いろんな箸を知ると食の楽しみが何倍にも広がる。なんか "食べるプロ "になった気分さえしてきます。お店に行けば、いろんな素材の箸が売っている。適当に3〜4つ買ってみて、使い分けてご覧なさい。わたしの言ってる意味が分かると思うから。もし分からなかったとしたら、それは食いしん坊の資質がないということ。剣豪ならぬ "食豪" の道は諦めなさい。普通に食べなさい。それはそれで普通においしい。

2003年4月22日

オムライス論

 実のところオムライスを作ったことが1度もない。意識して避けてきた。
 オムライスというのは一緒にいて心地よい人とおいしい店に食べに行くものであり、また好きな人に作ってもらうものであって、自分では作るものではないと思っている。踏み込む領分ではないと考えている。

 なんでもそつなくこなせることが最良だとは思わない。それはときとして嫌味に映る。
 わたしが言いたいのは「頑張りすぎるなや」ということ。なんでもそうだが "すぎる" のはよくない。「これは任せた」というものを割り切って持てるかどうかが、心の余裕だと思う。

 知らないこと分からないことをそのままにしておくのも、案外楽しいものだ。
「このオムライス、どうやって作るの?」ではなく、「このオムライス、うめえ。すげえ、うめえ。うまいなあ」。
 これが1番幸せだったりする。

 幸せを感じるにはコツが必要。なぜなら幸せとは絶対的なものではなく相対的なものだから。
 わたしって幸せを感じる才能は天才的だ。天才でよかった。

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蛇足
 大概の男は卵料理に弱い。オムライスと茶碗蒸しで頬が緩まない男はいない。
 世の男どもが肉じゃがでころっといくと思ったら大間違い。肉じゃがならわたしも作れる。そこはわたしの領分だ。負けられねえ。

2003年2月13日

食べ歩きのすすめ

 「どこそこのなにがおいしい」と聞いたなら、できることなら食べ歩いたほうがいい。
 有名店であればあるほど、待たされるのは必至。待ち時間はある種のスパイスだと思い、おいしくいただきたい。

 経験は知識――。
 いろいろ食べ歩けば、他のものと比較できるようになる。自分の舌に投資したい。

 経験は財産――。
 いつまでもその店、その味があるとは限らない。食べれるときに食べておきたい。
 そして年を取ったときに、自分の孫へその味を語れるようになりたい。

 さあ、食べ歩け。どんどん歩け。歩けば腹が減る。腹が減れば、飯がうまい。

2002年11月11日

苦労

 ミキサーやフードプロセッサーを使ったほうが楽だってことは分かってるけど、それでも特別なときにはやはり手作業で行いたい。味は変わらなくとも、満足感が全然違う。だからときに苦労する。自ら苦労を背負い込む。苦労は嫌いではない。

2002年8月8日

おいしい食べかた、楽しい食べかた

「いきなりわさびを醤油に溶くな。薬味を蕎麦つゆに入れるな。レモンを唐揚げに絞るな。それは考えてやってることなのか? ついやってることじゃないのか? まずは素材で食べなさい。堪能しなさい。薬味などはそのあとでもいいでしょう? ちょっとだけ考えて、ゆっくり食べなさい。そのほうが2倍は楽しく食べられるから。ね?」

 ……と軽く吼えてみましたが、昔はわたしもなにも考えずにやってました。あるとき小粋なおじさんに注意されたんです。「ちょっとお待ちよ、お前さん」と。ぶすっとしながらもやってみたら、案外おいしかった。それ以降は食事がより楽しめるようになった。
 ってなわけで、わたしもこれをみんなに推進しようと思う。目の前でやられたら、「ちょっとお待ちよ」と言いたいと思う。もちろん実行するしないは各人の自由。わたしに「ちょっとお待ちよ」と言うだけ言わせろ。言えば当人は満足するんだから(わがまま)。
 あ、誰に対しても注意するわけじゃないよ。どうでもいい人には注意してあげません。それと、その場の空気を読んで注意しない場合もあります。その辺は大人なんでわきまえているつもりです。恥をかかすような真似はしませんよ。
 ホントは口で言うんじゃなくて態度で示せれば1番いいんだけどね。残念ながらまだそこまでの貫禄は備わっていません。「変な食べかたしているなあ」程度にしか思われません。無念じゃ。

※補足
 自宅で食べるとき、例えばチューブのわさびなんかは、そのまま醤油に溶きますよ。上記で挙げているわさびとは、ちゃんとすりおろした生わさびのこと。莫迦のひとつ覚えみたいに、なんでもかんでも同じような食べかたをすればいいってもんじゃあありません。そういうのを半可通といいます。

2002年7月20日

野菜・果物のすすめ

 肉食動物は草食動物を食べ、草食動物は植物を食べる。もしこの世から植物がなくなったとしたら、草食動物は死に絶え、肉食動物もやがて消える。そう考えると、植物ってすごい。植物は全ての動物の基礎になっている。
 植物が食べるのは太陽、水、土。自然なものをそのまま食べて育っている植物を食べることによって、効率よく栄養を取り入れることができるんじゃないかな。
 野菜嫌いな子供には、ぜひこの話を聞かせてあげてください。ちょっとは食べてみようかなって気持ちになるかもしれません。保証はできませんが。……バナナは食べれませんが。柿も嫌いですが。すいかやメロンもそれほど好きではありませんが。

2002年7月10日

食事から見えるもの ―食べることの意義―

「食べることは生きることに直結している」という持論がある。おいしいと言って笑顔で食べる人は、人生を楽しく上手に送っている気がする。ありあわせの物でぱぱっと済ませてしまう人は、一事が万事その場しのぎの生き方な気がする。ゆっくり味わって食べる人は、心に余裕を持っておおらかに過ごしている気がする。
 普段どんなものを食べているのか。あるいはどういう食べ方をするのかを見れば、ある程度はその人の生き方も見えてくるはず。料理を味わうと同時に、その人の人生観も味わってみよう。おいしいかおいしくないかは、食べてみなければ分からない。人間味があるかどうかは触れてみなければ分からない。食わず嫌いは決してよくない。

2002年7月2日

"食" および "料理" のとらえ方

 どんな人間も食べなきゃ生きていけないわけで、どうせ食べるならおいしくいただきたいというもの。旬のものを旬なうちに食べずして、いつ食べるんだって感じ。
 料理に関してはお金をかけず、なるべく手間隙もかけず、さっとスマートにこなしたい。インテリジェンスなスパイスも加えたい。もちろん最後の仕上げは最高の笑顔。これがおいしさの秘訣。
 レンジでチンの冷えた飯に、笑顔はない。おいしいわけがない。

2002年4月25日